上には上がいるのと同様、下には下がいるものだ。
ひょんなことから、オレより若い女性から10代の頃の苦労話を聞いたのである。
話の導入は、コロナウイルスが猛威を振るったことにより、経済的な打撃を受け、就職難が訪れることになる、というところからだった。
女性は2008年のリーマンショックの頃に、ちょうど就活をしていて、職が見つかるまで苦労されたようである。
だから、現在、仕事があることにとても感謝しているようで、根が腐っているオレからすれば、とても直視できないくらいに眩い光を放っているのだ!
それどころか、中学生の頃は、自営業をしていたが倒産し、生活のために新聞配達のアルバイトをしていたそうで、のほほんと10代を過ごしたいたオレとは比較にならないくらい、苦労していたのだ。
ただ、オレからすらば苦労されましたね?なのだが、本人は割りとあっけらかんとしていて、その温度差に内心、戸惑いを感じた。
アルバイトといえば、遊ぶ金ほしさにやるものであって、生活のためにやるという感覚は、オレには皆無である。
戦後間もなくか!とツッコミを入れたくなる衝動を抑え、話を深掘りしていくと、高校の頃は、アルバイトどころか、家族の介護をしなければならず、何もできなかったんですよねえ~…と宣う。
だから、仕事がてきる環境で働けていることに満足しているのだ。
もうほとんど神レベルの心の持ち主である。
聞いていて物凄く恥ずかしくなった。
一生懸命生きなければならないと反省させられたのである。
ただし、彼女の人生を追体験すれば、彼女のような考え方ができるのかというと、どうもそういうことではないのではないかと考える。
同じ体験をしたとしても、前向きに生きていける人もいれば、さらにダークネスな底に落ちていく人もいるだろう。
ここで大事な事は、その時その時をどう生きたか、どう考えたか、なのではないだろうか?
と勝手に考えてみた。
つまり、運がいい、運が悪い、幸せだ、不幸だ、云々、その人の考え方次第ということなのである。
この考え方は、大体の自己啓発本に書かれてあることに気づく。
だから、どんな状況下であれ、ポジティブな姿勢であれば乗り切れる。
とはいえ、心底、苦しいのに、ポジティブになれというのは、少々ムリがあるのではないか?
先天的にポジティブ思考ができる人間であれば、それも可能だ。
しかし、根っからのネガティブ思考の人間に、ポジティブであれ!というのはあまりにも無責任ではないだろうか?
ではどうすればよいのだろうか?
オレの考えは、その時の状況を受け入れ、全力で対処すれば、自ずと結果が出るというものだ。
その間、ポジティブだろうが、ネガティブだろうが、どんな思考をしていても構わない。
とにかく、一生懸命がんばることで、状況を打開できれば、少なくとも一歩前進できるのではないだろうか?
前述の女性も、ずっとポジティブだったわけではないだろう。
ただ全力で取り組んだ結果、少しづつ状況が改善されてきたと思うのだ。
他人から見たら、まだ不幸の最中なのかもしれない。
でも、歩みを止めない彼女が幸せになることを、切に願うものである。